たまゆりのたからばこ

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たまゆりの人生に詰まった、たくさんのだいすきなものを紹介するための自由帳です。 好きな本、好きな音楽、好きな映画、好きな場所や土地、旅のこと、登山のことや、日常のなにげないしあわせのことなどを大切に書いていきます。







自分に全然自信が持てない私を変えた、たったひとつの考え方

 

昨日の「自分が普通だと思って自分に課してたラインが、実は完璧な理想だったと気付いた」という記事に、少し反応をいただいてうれしかったので、
自分自身にもう一度言い聞かせる意味もこめて、少し詳しく書いてみようと思います。

 

仕事や恋愛にくたびれてしまい、原因を探ったら、自分は完璧主義なんだと気付いた。

数日前ある日突然「だめだ、仕事いけない…」「彼氏の電話にも出られない…」となって、原因をよく探ってみたら「自分の完璧主義が原因だった」と気付いたとこまで、この記事では書きました。

 

「普通にできなきゃダメなライン」と自分でいつも思っていた値が、実はものすごく「完璧な理想」だったと思い知ったのです。

 

そう気がつくまで、どんなプロセスを踏んだのか、書いてみましょう。

 


完璧主義をやめるためにやってみたこと1。メリットとデメリットを書き出す

いやな気分よ、さようなら コンパクト版

いやな気分よ、さようなら コンパクト版

  • 作者: デビッド・D・バーンズ,野村総一郎,夏苅郁子,山岡功一,小池梨花
  • 出版社/メーカー: 星和書店
  • 発売日: 2013/07/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 この本の内容に従って、まずは完璧主義でいることの利点と、不利益な点は何かを考える現状の分析からはじめました。

 

それは「完璧主義でいることで、自分にとってどんなメリット・デメリットがあるか?」を、真っ白なA4のノートに、思いつく限り書き出してみるというもの。

 


私が書いた完璧を目指すメリット

「完全で理想的な自分、理想的な結果を目指すことで、自分を高めて前に進むことができる」

「たとえ頻度は少なくなっても、心から納得できるクオリティの高いものだけを選び、発信できる」

 

…なるほど、たしかにそうだな。

思えば自分の行動様式というか、ポリシーみたいなのは、こんな感じだった気がします。

 


完璧を目指すデメリット

「掲げる理想と今の現実の自分の間の差が大きいから”こうなれない自分はダメ人間なんだ”と思い込んでしまい、落ち込むことが多くなる。疲れてしまう。」

「理想とは違うものを人に見せるのが怖くて、例えば何も書けなくなったり、言えなくなったりして、殻の中に閉じこもってしまう。」

「自分が成功したり、褒められたりしても”でも、自分の理想とは程遠いから”という理由で喜べず、むしろ自己嫌悪に陥る」

「時にあまりに理想と離れた現実を直視できなくなり、無理をして理想に見せかけた自分を演じ、見栄をはってしまう」

 

などなど。 

め、めっちゃあるやん…

 

 

デメリットがすごくたくさん出て、びっくりしたけど同時にすごく納得しました。

自分にメリットがあると思ってやっていた理想を掲げるスタイルが、いかに自分を苦しめていたかに気がついたんです。

 

 

完璧主義をやめるためにやってみたこと2。目標を60%に変える

次に私は、今まで自分が描いていた理想の目標を「100%」として紙に書き出し、それを「60%くらい」の目標に書き換えることをしてみました。

 

例えば仕事なら、

今までの目標値が「1日にたくさんの量の撮影と文章のライティングをこなして、頼れるデザイナーになる。早く結果を出す。後輩からも尊敬される存在になる」

だったのを、

その60%くらいの「1日1つでも、2つでもこなせたら、今はそれで充分。そこそこできる、くらいでいい。後輩からは、尊敬されなくても嫌われなければいい。」

というのに書き換えました。

 


恋愛なら、

「山もサクサク登れて、料理や家事もできて気遣いもできるキレイ好きの女性になる。ひとりで冬山もサクサクいっちゃうようなかっこいい女性になる。」

だったのを、

「たまに料理や掃除もやってて、一応勉強してる人であれば充分。山も、ひとりで近所の山に登ってるくらいで充分」

という60%くらいの目標に。

 


それからブログだったら

「毎日更新して、ためになることをたくさん書く。写真もオリジナリティのある美しいのをアップして、カミーノ界のカリスマになる(←本気でこう思ってた)」

だったのを、

「”ただカミーノに行きたくてブログ書いてる人”で充分!毎日じゃなくても月1でも週1でも、3ヶ月に一回とかでも全然いい、なんとな〜く続いてればそれで充分!」

 

こんな風に、自分の中での「普通(=理想)」のラインを下げていく作業をしたんです。

 

 


そしたらとても心が軽くなった

そんなふうに、思いつく自分の「こうしなきゃ」「ああしよう」っていう目標や理想、普通のラインみたいなのをどんどん書き出して、どんどん60%の目標に書き換えていったら、とても心が軽くなりました。


今まで私が自分に課してきた「普通じゃなきゃいけない」「これくらいはできないといけない」っていう値が、じつはマジでめちゃくちゃすごい理想だったんだってわかりました。

 

そりゃ、現在の自分と比べて落ち込むわけだよ〜〜〜!

 


自分のことを「いいな、えらいじゃん」と思えるようになった

この「60%」を意識して、今日1日過ごしてみました。

すると、仕事や恋愛に限らず日常の中のありとあらゆる場面で、自分が無茶な理想を自分にあてはめるのを習慣にしていたことがよくわかりました。


例えば起きる時間もごはんを作って食べるのも食器の片付けも、休みの過ごし方も、これまでは「こうあるべきだ」って100%の理想を自分に求めてきていた。

 

でも今日は、全部とはいかないけど、たくさんの場面で「これだけできたら充分」と思えたんです。

60%を達成できる自分を、あるいは40%でも20%でも達成できた自分を「いいじゃん、えらいじゃん」と思えるようになった。


今までは、何をやってもめっちゃ理想と比べてダメすぎて、自信をなくすことばかりだったけど、それが少し…というか、劇的に変わった気がします。

 

なんていうかまるで、自分の中に常に「肯定ぺんぎんのあかちゃん」がいて話しかけてくれているかのような…!笑

 

 

めっちゃ和むんですけど!! 

 

 


習慣はすぐには変わらないかもしれないけど、これから少しずつ良くなったらいいな

今まで生きてきた中でしみついた「自分に完璧な理想を課してしまう」という習慣。

これは、数日や数ヶ月で簡単に抜けるようなものではないのかもしれないけれど。

 

これからはなにをするにしても「ほどほど」「これで充分」を意識して、少しずつ変わって行けるような気がしています。

 

 コウペンちゃん (KITORA)

いつも心にコウペンちゃん。

 

まいにちコウペンちゃん 日めくりカレンダー ([実用品])

まいにちコウペンちゃん 日めくりカレンダー ([実用品])

 

え、日めくりカレンダーあるの!?ちょっとほしい…!!!

 

 

はぁ!今日もシャワー浴びて歯磨きまでした自分、めっちゃえらい!!笑

 

それではおやすみなさい、たまゆりでした。

 

めざせ完璧主義からの脱却!その「普通」って実は「完璧な理想」じゃない?

 

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私って、完璧主義者だったんだ…!

そう気がついて、いまびっくりしています。

 

今年の初めくらいから、新しい仕事場で働かせてもらって、私のやれることをいろいろ活かさせてもらって、とても尊重してもらっている仕事場、オーナー。

 

初めはただただすごく楽しかったのに、だんだん気が重くなっていって「最初はあんなに楽しかったのにどうして?」という気持ちを抱えたまま走り続けていたら、数日前にパンクした。

そして、何日か休みをもらってゆっくり自分と向き合ってみることになった。

 

それで、まる3日間、引きこもって考え続けて出てきたのが

「私は完璧主義者だったんだ」ってこと。

 

自分は普通のことも普通にできない怠け者のダメ人間だと思っていたから、そんな言葉と程遠いと思ってた。

でもよく考えてみると、私が自分の中に設けていた「普通」の基準って、実はすごく「完璧」な「理想」に近かったのかも知れないと、気がついた。

 

毎日バリバリ仕事をして、どんどん成果も上げて、事業に貢献できる自分。

それはよく考えたら「完璧な理想」だったはずなのに、私はそれをいつしか「できないとクズ同然な最低ライン」みたいに考えるようになってしまっていたのだと思う。

 

仕事だけじゃない、恋愛もしかり。

私は今ひとまわりほど年上の彼氏と付き合っていて、「彼を困らせず、いつも前向きで刺激的な魅力を感じさせるような、(一緒に登山もするので)バリバリ山にもひとりでどんどん行っちゃう料理もできる気が効くパワフルでそれでいてかわいらしい女性」みたいな、

こう改めて書いてみると「いや、こんなやついねえよ!」と思うような「理想」を、こうしないときっと彼に見捨てられるという最低ラインみたいに考えてた。

そんなわけはなかった。

 

そんな「完璧な理想」を、自分の中に掲げ続けていたから、当然現実はそうはいかなくて、100%のスーパーマンと現在の自分を比べて「私はなんてできないやつなんだろう」と疲弊し、落ち込みまくっていた。

 

そう、それが、私がいつも疲れて落ち込みがちなことが多い原因のひとつだったのだ!

私は、100%の理想を求める完璧主義者だったんだ!

 

 

初めて気がつきました。

そして、私は決めました。つねに中くらいの、理想を100%とするのなら、60%くらいの目標をイメージして生活や仕事や夢に取り組んでみようと。

 

 

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うーん…いや…40%くらいかな…。

 

 

ここに気づくまで、この本がとてもよくナビゲーションしてくれました。

私は最近こうして自分と向き合いたいときはまっさらなノートに自分の考えをひたすら書き出して行く、ということをよくするんですが、

この本のナビに沿って、いろいろ書いてると、まるでカウンセリング受けてるみたいでいろんなことが見えてきてすごくよかったです。

いやな気分よ、さようなら コンパクト版

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あなたに、中ぐらいでいることをおすすめします。

これは、ばかげたことに思えますか?

それでは、たった一日でいいから、中ぐらいでいるよう努力してみてください。

その結果、二つのことが起こると思います。

 

一つは、中ぐらいでいることにうまく成功しないこと。

二つ目は、それにもかかわらず自分のしたことに充分満足するだろうということです。

 

14章「中くらいであれ!完璧主義の克服法」より

 

おすすめ!ぜひ!

登山家・栗城史多さんの訃報

さきほど、Facebookで訃報を知り、びっくりしました。

 


私が栗城さんを知ったのは、3年ほど前。

ちょうど自分が悩みもがいていた時に、栗城さんのエベレスト登山を追ったNHKのドキュメンタリーをたまたま見たことがきっかけでした。

 

以下、その時の日記より。

今日、先日放送されて録画しておいた、栗城史多さんの「5度目のエベレストへ~栗城史多 どん底からの挑戦」という番組を見て、胸を打たれました。

いのちにかえたってやりたいことがある。それができないなら生きてたって仕方ない。だから死んでも、たとえ死ぬ危険があっても指を失っても挑戦する。でなきゃ生きてる意味がない。

 

そんなメッセージを感じて、もう、すごく、自分もそうなりたいと思った。

これをしてなきゃ生きてる意味がないんだって、思えるものを。彫りだしたい。

 

- 2016-01-08の日記より

 

このころ私は、病院でOLをやりながら、ちょうど次の年にスペインのサンティアゴ巡礼に行くんだと決心をした時くらいでした。

決心してから急速に変化して行く自分のエネルギーをどこに向かって走らせればいいのか、自分の人生で本当にやりたいことはなんなのか、このころの自分は考え、悶々としてた。

 

 

そんな時に、栗城さんのドキュメンタリーを目にしたので、衝撃でした。震えました。

 

指を9本失っても、反吐を吐くほど苦しみ抜いても、誰にどんなことを言われても、それでもゆずれない、それでも絶対やめない、挑戦し続けたい夢。

 

そんな大好きなことを、この人は見つけているんだ。

そんで、その大好きなことに挑戦しつづけてるんだ。

胸が熱くなって、ただただ眩しかった。

 

 

以下、上に引用した日記の続き。

毎日がほんと山登りみたいだ。

進んでいる。前に。だけどもっともっともっと進みたい。挑戦したいんだよ。

 

でもまだ、その「挑戦したい」って意欲!はやる気持ち!のあとには、「で、何に?」ってのがくっついてる。

それが、まだなにかわからない。

だから彫り出したい。

 

- 2016-01-08の日記より

 

 

この時初めて、

「自分も人生の中で、栗城さんくらいゆずれない、"このために人生を戦える"って思える夢を見つけたい」

そんな想いが芽生えました。

 

その想いは、そのあと旅の準備を重ねて、旅をして、帰ってきて生きて行く中でも、ずっと胸の奥のほうに灯っていた気がします。

そして今の自分は、ほんと〜〜〜に少しずつだけど、ゆずれない自分の夢を切り開きつつある。

 

あの時栗城さんのドキュメンタリーを目にしていなかったら、今の自分はなかった。

そう思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

ありがとうございます。

また、いつかどこかで、どんな形かはわからないけど、お目にかかれたらいいなぁ。

 

 

一歩を越える勇気

一歩を越える勇気

 

 

関連記事

宇多田ヒカル「Play a love song」聞いて号泣しすぎて翌日仕事に遅刻した話

 

泣いた、すごい泣いた、とにかく泣いた。

なにがそんなに泣けたんだというくらい泣きました。

 

 

Play A Love Song

Play A Love Song

 

 先日iTunesで配信された宇多田ヒカルのニューシングル「Play a love song」。

サントリーのCMでも、前作の「道」や「大空で抱きしめて」にひきつづき、宇多田ヒカルさん本人が南アルプス(?)の山々を歩くという映像とともに曲が流れています。

 

山登りが趣味である私にとって、それはたまらない映像で、流しっぱなしのテレビからふと曲が流れてくると、思わず食い入るように見つめてしまうCMでした。

 

 

で、そんな印象的なサントリーのCMの、新しいバージョン!

曲を聞いて最初に感じたのは「雪解け」「冬の終わり」「春がやってくる!」そんなことでした。

 

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もう桜も散って新緑が輝くこの季節ですが、山に登っていると、標高2000mとか3000mの山の上は、4月下旬になった今でもまだ分厚い雪に閉ざされているんです。

 

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それでも、確実に、そんな厳しい山の上にも春はやってきている。

朝焼けの薔薇色に染まる雪は、下っていくにつれてシャーベットみたいにやわらかくなり、小さな水のしずくになって、それが集まって小川を作って、山の中の緑を鮮やかに萌えさせていく。

 

 

なんか、うまく言えませんが、サントリーさんの言いたいことってきっとこういうことなのではないのか、と山に登っていて感じます。

山に登ることは、同時に私たちを生かす「"水"がどこからくるのか?」を自分の足で知りにいく旅でもあるように思うのです。

 

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雪が降り、それが春になれば溶けて、雨とともに、土にしみて、緑をはぐくみながら、川の流れへとおりていく。

水は山からやってくる。その水に生かされて生きている。

 

そんなことが、CMからも曲からも伝わってくるような気がする。

はじめて聴いている間は日常生活の中で感じる悩みとか不安とかそういうものとはまた別に、もっと根っこの部分の生き物としての「春のよろこび」みたいなものを、心の芯で感じるみたいな気持ちでした。

 

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でもね(笑)

でもほんとうは、私が昨晩ボロッボロに泣いて起きたら出勤時刻15分前で目がパンッパンに腫れた状態だったくらい泣いたのは、前者の理由のほう。

 

なんであんなに泣けてしまったんだろうなぁ〜〜というのは、一晩経つと自分でも正直思い出し難いのですが、もう、1フレーズごとに胸がかきまわされるように熱かった。

 

私にはこの冬からつきあっている10こくらい年上の彼氏がいて、山にいつも一緒に登りにいくのですが、いつも心のどっかが不安でしかたなかったのです。

私は年より「大人びているね」とたまに言われることもあり、自分にどこかそういう部分があるのかもとなんとなく思う。だから彼とは一緒に居られるのかもしれない。

 

だけど、私の中には同時に、もうめちゃくちゃではちゃめちゃな、どうにもコントロールの効かない、3歳児みたいな手に負えない自分も同時に存在している。

 

普段はそれが表に出なくても、自分に余裕がなくなると、とたんにその手に負えないすっごくめんどくさい自分が現れる。

それは例えば、山に登っているときのくたびれて余裕がない時だったりする。

 

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そういうとき私は3歳児みたいに拗ねる。

思い通りにならない、癇癪をおこして、人のせいにして、駄々をこねる。そんなことしてもどうしようもないとわかってるのに、労られたくて、心配されたくて、わざと撥ね付けたり傷つけるようなことを言ってみせたりする。

 

そんなのはどうしようもないとわかっていて、自分も相手も嫌な気分にさせるだけととっくに知っていて、でもそうするしか知らなくてそうしてしまう。自分でもそんな自分のことは大嫌いだ。

思えばその癖は昔からそうで、その駄々をこねる対象が、親から恋人に変わっただけのような気がする。

 

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そして相手が「恋人」という「元他人」になったことで、話はやっかいになった。

癇癪をおこし、拗ねている自分は、相手のことを信じられなくなる。もう嫌われたに違いない、こんな面倒な女に付き合うなんてごめんだろう、私なぞといるよりも一人で気楽に山に登った方が、この人にとってどれだけ楽しいことか…きっと彼は今そう思っているに違いない。そう心で決めつけ、さらに頑なに閉じていく。

相手が切っても切れない家族ではなく、切ろうとすればたぶんいつでも切れてしまう、恋人という元他人だからこそ、そんな疑心暗鬼におちいるのかもしれない。

 

 

でも、だからこそ、その相手が恋人だからこそ、私はこの自分のダメなところを、乗り越えたいとそう思った。ちょっと本気で思った。

振り向いて欲しくて自分にも相手にも態度や言葉の刃を向けるなんてもういやだ。そんな関係はいやだ。

もっとまっすぐに意思を伝えられる自分になりたい、彼を信じ、信じてもらえる関係を築ける自分になりたい、そう願った。

彼に出会い、一緒に過ごしたことで、たぶん人生で初めて願った。

 

きっと今まで私が見ないで生きてきた課題に、今まさに向き合おうとしてるんだと思った。

 

 

そんなおりに聴いたのが、くだんの宇多田ヒカル「Play a love song」。

それはまさに今書いてきた私の「乗り越えたい私の弱さと醜さ」を正面から強く抱きしめられてしまうような曲だった。

 

長い冬が終わる瞬間

笑顔で迎えたいから

意地張っても寒いだけさ

 

悲しい話はもうたくさん

好きだって言わせてくれよ

Can we play a love song?

 

「私は弱い、だけどそれは別に恥ずかしいことじゃない」

活動休止前の宇多田ヒカルが発表した「Show me love (not a dream)」の歌詞で、私が今でも度々思い出すフレーズです。

この「Show me love (not a dream)」が、もしかしたら自分の心の奥の冬眠穴で弱い自分をそっと抱きしめる詩だとしたなら、今回の「Play a love song」は、そんな自分を、今度は違う誰かに抱きしめてもらいにゆく詩だと思ったのです。

たぶんそれは、冬が終わるみたいに。

 

私は弱い、私は醜い、どうしようもない。だけど、愛されたい。

抱きしめられたい、離さないでほしい。

 

「Hold me tight and don't let go」(私を強く抱きしめて、どこにも行かないで)

曲の中でなんども繰り返されるこのフレーズは、殻の底のちっちゃい弱っちいむき出しの自分が、まさに願っていることだと思った。

 

きっと私の癇癪は、この「Hold me tight and don't let go」を怖くてうまく言えないところに原因があって、だから私は、それを少しずつちゃんと言葉にしていこうと思う。

それが多分弱い自分を乗り越える第一歩だ。

 

悲しい話はもうたくさん!

好きだって言いたい、いっぱい。

 

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…そういうことを考えて、何回も聴き直しては鼻水と涙で喉がカラカラになるくらい泣いて、寝たら、ひどい状態で寝坊しました。

 

今回は恋人との話を書いたけど、これは仕事でも同じで、まずは相手を信じて、踏み出してみようと思うのです。

 

同じ場所から成長してないみたいに同じ自分の弱さになんどもぶつかるけど、たぶんその度にこうやって歌や言葉や本やぬくもりを通して助け上げられて、螺旋階段みたいにちょっとずつ上へ成長してくんだろうな。

 

そんなことを思う春の一日の夜でした。

 

 

 

 ところで、その宇多田ヒカルさんのインタビューの乗っている「SWICH」すごくよかったです。

 

詩の原理 (青空文庫POD)

詩の原理 (青空文庫POD)

 

 

それから、そのインタビューで紹介されてる萩原朔太郎「詩の原理」もちょっと難解でまだ途中だけど、すごくよかったです。(青空文庫で無料で読めるよ)

 

そして感極まっていろいろ宇多田ヒカル著作をぽちってしまった。またなにか感想を書くかもしれません。

 

宇多田ヒカルの言葉

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  • 作者: 宇多田ヒカル
  • 出版社/メーカー: エムオン・エンタテインメント
  • 発売日: 2017/12/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

 

 

点―ten―

点―ten―

 

 

 

線―sen―

線―sen―

 

 

 

それじゃ、おやすみなさい!

 

 

見おろせば春の楽園。田んぼのあぜ道は七色のたからばこ!

 

インスタグラムの投稿より、ちょこっと加筆。

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春の田んぼのあぜ道は、私にとってまるでたからばこみたいです。

 

お花屋さんで買ってくる可憐なお花も好きだけど、こうして田んぼで、太陽の下風に揺られて咲いている小さな野の花たちが、やっぱり身近でなつかしくって、大好き。

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私は昔おばあちゃん、おじいちゃんとも一緒に岐阜に住み、小学校の前半まで育ったのですが。

その家の近くにも広い田んぼがあって、幼少期の私の遊び場所といえば、もっぱらその田んぼのあぜ道でした。

 

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だから、こうして犬山に住んで久しい今でも、田んぼのあぜ道はとってもなつかしくて大好きな場所なんです。

 

 

場所は少し違っても、春になれば咲く花は同じ。

 

青くて小さくて、少し触れたら飛んで行ってしまう、おおいぬのふぐり。

昔はよく、紫色の細長い花を摘んで甘い蜜を吸ったほとけのざ。

水につけてくるくるまわして、小さな音を楽しんだ、ぺんぺん草、別名なずな。白くて小さくて、かすみ草をもっとちっちゃくしたみたいな可憐な花と、ハート型の鈴みたいなかわいい葉っぱが大好きでした。

それから、鼻を近づけると、太陽みたいな匂いがするたんぽぽ。

 

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そんな花たちが、家の近くの田んぼの脇にいつのまにか咲き始めると、なんだかとってもなつかしくって、うれしくって、たまらなくなるんです。

今年も会えた〜!今年も春が来た〜〜!って。

 

なんか、これだけで毎年こんなにうれしくなれるって、私めっちゃ幸せもんなのでは?と思うほどに、うれしいです(笑)

 

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愛犬とのおさんぽも、冬は私は寒いだけですが(笑)、この季節は私もめちゃくちゃ楽しいのでWin-winなんです!笑


ああ、今年もこの季節がやってきたんだ〜〜っ!!

うれしいな。本当にうれしいな〜!

いっぱいいっぱいお散歩に出かけたいです。

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ほんとうに、ちょっと思い立って外に出てみるだけでも、こんなに楽しいことがあったりする。

できるだけ、そういう、さりげなくて身近なくらしの中にある綺麗なものを、ちゃんと見つけていられる自分でありたいな、と思います。

 

簡単なようで難しいことだけど、こうやって今日みたいに、犬や、花や、あったかい空気やぽかぽかの日差しが不意に教えてくれる。

 

そんで、そうやって受け取ったものを、こうして書いたり写真にしたりすることで、少しでももう一度この世界に返して行くことが、きっと私がすごく、いちばん、やりたいことなのかもしれません。

 

 

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私が好きな詩人、工藤直子さんのことばに、こんなものがありました。

わたしは、なんでうまれてきたんだろう

この世に、どんなご用があるのだろう

わたしにもできる「この世のご用」はあるのだろうか

あるとしたら、それは、どんなご用だろう

 

…(中略)

 

それ以来、ひそかにあこがれている。

ねがわくば、地球をほれぼれと見つめる役目を受け持ちたいと。

地球に拍手を送る役目をいただきたいと。

そして地球に恋文を書きつづけるご用を果たしたいと。

そして、こう言いつづけたい。

 

地球、あなたのところに生まれてよかったよ。会えてよかったよ。

パタタ・パタタ・パチパチパチ

 

- 工藤直子 「新編 あいたくて」 あとがきより

 

地球にラブレター、いっぱい書きたい!

 

新編 あいたくて (新潮文庫)

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